高齢リターンライダーと農山漁村

 子どもたちの独立を機に再びオートバイに乗り始めました。Zガンダムの360度全周囲スクリーンほどではありませんが、シールド越しに大地との一体感を感じています。

雨天のち安堵

 久しぶりにツーリング中の雨。雨雲レーダーを過信しすぎたか、スマホ画面に雨雲は出てないのに雨。進路の先もレーダーに映らない雨で靴下がグッチョりに。

 宿泊先では、前日の夜半から早朝にかけては雨の予報であったので、オートバイにもカバーをかけ万全のつもりであったが。

 二泊三日のツーリングの最終日で、ブーツもオートバイも濡れたまま帰宅。ふやけて冷えた足は、お風呂で回復。それはそれで、辛い後の幸せ。

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 写真は、天塩川歴史資料館で見た大昔の人の生活の様子を再現した立体模型。当時も住居の中では暖をとって、チョット幸せだったのかな。兎にも角にも、雨風を凌げることはヒトにもオートバイにも優しいコト。

 明治時代になってからは、鉄馬ではなく、馬が交通手段として重要な役割を担っており、鉄道敷設まで、北海道では「駅逓」と呼ばれる旅館と郵便局と一緒になったような施設が設置されていた。ヒトが寝泊まりできる、お風呂に入れることとともに、駅逓間の往来を担う馬の休憩所、厩舎も整備されていた。

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 写真は、北海道開拓の村に移設され、展示されている駅逓の厩舎。中には8頭の馬が休める馬房がある。クマもオオカミもアブナイ人たちも多くいる時代。馬も馬房で安堵していたのかな。自分のオートバイもガレージに収容して安堵。今も昔も、ヒトは構築物で内と外を隔て、火を扱うことでホッとする気持ちになったと想像してます。例え、30馬力のオートバイに乗ってはいても、自然の中では、か弱いものであります。

全空間冷房

 熱中症、脱水症状になりそうな暑い夏、太陽の光線が革ジャンを突き抜けているような季節も、もう終わり。朝晩はめっきり寒くなり、一日のツーリングの中で、寒さをしのぐ装備も必要になってきた。

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 景色もすっかり秋の大地と暗い空。それでも天塩〜遠別の農道から眺める増毛の山々のパノラマは寒さを和らげます。後ろを振り返れば、利尻岳も。

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 そう眺めている時、ツーリングの一団が通過。オロロンラインの北上は、天売島、焼尻島と遠くに利尻島を見つつ、進むに従い、利尻島がズンズン近づく。

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 そんな景色を楽しんで、美味しい日本海のものと温泉を楽しむツーリング計画もいいのかも。

 写真の白いラッピングの二番草。冬を越して来シーズンまでの牛のサレレージの準備が進んでいます。美味しいエサができるかな。

安心のツール

 平成13年以来、久しぶりに天塩町に来た。天塩川歴史資料館をゆっくり見るため。

 そこで、1927年のインディアンの展示を見た。開拓の時代、冬は馬そり、夏は馬車が交通手段であったが、展示には家族の病気や災害の不安がある中、「一分一秒を争う人命救助に一つの明るさを与えた車であった(展示説明ママ)」とのこと。悪路での走破性にサイドカーの期待は大きかったよう。展示によればサイドカーは自作とのこと。サイドカーに乗せられ、急を要する方々が救われたのでしょう。

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 見学のあと、改良され舗装された農道を走りつつも、しんみりとしてしまった。

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 資料館は、バイパスに付け替えられる前の旧国道沿いにある。レンガ造りの元役場庁舎。天塩町は、北海道で二番目の流域面積がある天塩川河口にある町。天塩川流域の森林資源、日本海の漁業資源で賑わった昔と酪農の発展があった現在までの産業・地域の歴史と道北の自然を学ぶことができる。

氾濫

 石狩平野の低地帯は、縄文海進と言われる海水面が上昇していた時には、そのおおくが海に没していた。

 今でも標高は低く、地下水位も高く、あまり農耕に適した土地ではなかったが、水田が開かれていった。石狩川や夕張川、千歳川などの河川とは堤防で仕切られているが、大雨で川が暴れると水田も鉄道も国道も水に浸かった。

 リアルな経験、記憶にあるところでは、昭和56年、57年の水害。農業だけでなく地域産業、生活に大きな影響を及ぼした。

 水害を軽減するため、河川の切り替え、ダム堤防の築造などの治水対策は開拓の頃から今に至るまで続いている。

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 写真は石狩川から切り離されたしのつ湖。しのつ湖周辺では、道の駅があり、また、温泉やキャンプ、釣りなどのアウトドアの楽しみを満喫できる。河川の切り替えにより、残された三日月湖は、レジャーに活用されている。地球温暖化の影響により、100点満点の克服とはならないかもしれないが、地域の産業・社会へのダメージは確実に軽減されている。

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 そして、しのつ湖の石狩川を挟んで対岸、北村での稲刈りの様子。治水の努力が、自然の脅威に影響されにくい農業生産に寄与している。

 

 

音の公共性

 先日、交差点でクラクションが騒々しく鳴るのを聞いた。車列の流れの滞りで、感情的な使用に思えた。お昼時の空腹の解消でまったりしていた気持ちがちょっと興醒めになった。

 都市的地域の中で一定の喧騒は受容しなければならないが、時々、シンとした空間に行きたくなることがある。

 東京にいたときは、よく三浦半島の城ケ島の南端の磯まで出かけていた。民宿に泊まり、夜になれば、夜の暗さとともに音もない。よく農村景観が地域資源として評価されるが、都市的な騒々しさから離れた、「静かさ」も地域資源、と感じるようになった。

 他方、電波と同様、音の公共性も大切にしなければならない。緊急自動車のサイレン、防災無線の屋外拡声器・・・

 そういえば、若い頃住んでいた釧路では、夏によく霧笛がゔぉぅ、ゔぉぅ、と鳴っていた。太平洋の冷たい千島海流に沸く海霧から船の運行、船員の安全を守るために必要なもの。

 思い出してネットで調べたら、GPSの普及で廃止となっているよう。霧笛は昔話になってしまった。

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 写真は、根室納沙布岬にある灯台海上保安庁のHPによれば、霧笛は平成22年に廃止されているよう。灯台から電波や音の発信の公共的な利用がなくなっても、光の公共的な利用は残るし、岬周辺の独特の地形とともに灯台はなくてはならない景観形成の構築物であるし、あらたに教育・交流空間としての活用も各地でされているよう。ツーリングでも岬の立ち寄りは外せないが、灯台の多面的機能についても理解を深めたい。・・・アレ、標題から外れてしまった。反省。

 

西積丹から地下世界へ

 札幌から小樽、余市神威岬へと繋がる積丹半島の東側に比べ、西積丹はひっそりとしている。小樽から積丹半島の海岸をなぞって江差まで繋がる国道229号線の中で、この区間の開通は遅く、開通した後も台風で橋桁が橋脚から落ちる被害もあった。荒々しい自然に苦労している道路である。

 そんな道路のツーリング。トンネルに入っても、トンネルを出ても、ひとり、ということが多い。

 もしかして、誰もいなくなっちゃた、と感じる瞬間もある。そして、写真の岩の入り口を見る。

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 アップして見る。

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 あそこから地下世界へ入って行くのかー。イヤ、竜宮城に行けるかも。

 錯覚です。海が「積丹ブルー」っぽくないのがチョット残念。

黄金色のじゅうたん

 北海道の米づくりについて、ざっくり言えば、温帯モンスーンの気候で育つジャポニカ種を亜寒帯の北海道に適応できるように変えていくのに100年、コシヒカリササニシキを超える美味しさにするのに50年以上の歳月を要してきた。寒さだけでなく、イネドロオイムシをはじめとした害虫、いもち病をはじめとした病害の脅威も乗り越えて来た。

 土づくりや水管理で、寒さから稲を守り、美味しさも追求してきた。

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 今年も、病害虫や気象災害の脅威を乗り越え、収穫の時期が近づき、水田が金色になる。

 写真は、蘭越町尻別川河口近くの水田と後方左にニセコアンヌプリ、右に羊蹄山蘭越町では、「米-1グランプリinらんこし」が開催されている。

 収穫が終われば、日本海沿いの尻別川流域に、ドッサリ雪が降るスキーの季節が近づいてくる。