学校に名前は既にに変わっていたが「鉱山学科」があった、かって花形の学科であった。地質から機械、製錬までカバーする、産業に直結した総合学科だったように思う。
40年ほど前には、その地位は土木建築、さらには、電気電子、精密機械へ譲られているように感じた。日本の製造業のチカラが米国に迫る勢いの頃になる。
時代は、さらにまわり、環境やレアメタルの重要性が増す中、かっての鉱山学科からの知見、伝統が活用されているようであるし、人材が求められる分野になるよう。
写真は、ヤマハ、トヨタ合作の2000GTのミニカー。産炭地であった歌志内市の郷土館ゆめつむぎにて。2000GTの頃は、日本の自動車やオートバイに機械工学に限らず、他の分野の技術が投入される、上り坂の入り口にあった頃。製造現場から販売まで、よほど高い水準の矜持があったと想像される。